Q4 色がわからないのですか? どのように色が見えるのですか?

 

お答えします 色がわからないは誤解。色の感じ方が少しちがうだけです。
       どのように見えるかは、だれも自分以外はわかりません。

 

 

★ 「少数色覚の人は、色がわからないのですか?」とか「どんなふうに見えるのですか?」と聞かれます。最初の質問には、「そんなことはありません。」とすぐ答えられますが、次の質問に答えるのは、とても難しいですね。
 なぜなら、色の感覚は生まれつきのものであり、多数色覚と直接比較してちがいを感じ取ることはできないからです。多数色覚の人にとっても、それは同じですね。「あなたは少数色覚の私とどうちがって見えますか?」と私が聞いたらどう答えますか?

 

★ 少数色覚を自覚した子どもは、自分の色の世界で社会経験を積むことで適応する能力をつけていきます。そして、色の感じ方のちがいが「色覚異常」や「色盲」という言葉から連想してしまうような大きなちがいはないことも理解していくのです。そのなかでもちがいが大きくない(いわゆる軽度の)当事者は色覚検査をして初めてちがいがあることに気づくことも多々あります。

 

 

★ 検査によって「色覚異常」と判定されて驚く当事者がいるのは、それほどのちがいを自覚するような場面がなかったという理由もあるでしょう。ですから「自分は生活や仕事で不都合を感じることもない」と言い切る人もいるわけです。

 

 

★ かつて学校で「色覚異常」と判定された人のなかには、家族にも打ち明けることができず、家族のだれにも知られないまま長年暮らしている人もいますが、いっしょに暮らしている家族でもわからないほど、見え方のちがいは小さいものだということもできます。

 

 

★ 一方仕事の面では、色の判断が重要な内容である場合、ときには困ったり、不都合を感じたりするケースもあるようです。しかし、それは解決が不可能なものばかりではありません。少数色覚のデザイナーもいれば医者もいます。学者や教師もいますし、職人もいます。
 経験により自然と乗り越えられるようになったり、困ったときや迷ったときにはちょっと気をつけたり工夫したり、同僚や友人に手助けをしてもらったりして問題をクリアすることもできます。

 

 

★ 少数色覚者はあなたの周りにもたくさんいます。でも、今まで色の見え方が原因でだれかとトラブルになったり、「この人は、もしかすると少数色覚かな」と感じたことなどはなかったのではないでしょうか。

 

 

★ ただ、色の見え方に大きなちがいがあると自覚する人がまったくいないわけではありません。自分で不自由を感じたり困ることが生じる少数色覚者も割合は少ないもののいるのです。それも多様性の一つといってもいいでしょう。

 

 

★ 困る度合いに差があるとはいえ、色の感じ方がちがうわけですから、生活上まったく支障がないというわけではありません。例えば、教科書など印刷物の色分けがわかりにくい、黒板の赤チョークがよく見えない、信号機の黄色と赤が見分けにくい、地図の色分けがわかりづらい場合がある、プレゼンテーションの画面やポインターが見えづらい、スマホの充電やテレビの電源などの赤と緑に変化するダイオードがわかりにくいなど・・・。
 近年色のバリアフリーも進んできましたが、人間が着色した表示物などは、多数色覚の色の感じ方だけを基準にしていることがまだまだ多く、少数色覚者はそのなかでは社会的弱者となっているのです。

 

 

★ 2003年に日本医師会が作成した「色覚マニュアル」には、多数色覚者の感じ方と比較した少数色覚者の「見え方」について、次のように説明しています。

 

似て見える色は?
 先天赤緑異常においては、緑から赤までの色、つまり緑、黄緑、黄、黄赤(橙)、赤の色の領域では、色の差が小さい色として知覚されています。したがって、見分けにくい色は、特に鮮やかさの低い緑から赤までの色です。加えて「紫と青」が挙げられます。
 例 明度や彩度が類似した色:緑と赤、黄緑と橙
   隣同士の色:橙と赤、緑と黄緑
   彩度の低い色:茶色と緑、茶色と赤、黒と赤、黒(灰色)と緑(青緑)
          ピンクと空色(水色)、ピンクと灰色(白)
          紫と青 
  このため、緑の葉や芝生などを茶色に、またはアスファルトの道路、灰色の建物、
空などをピンク色に描くことがあっても、故意や心理的な要因ではありません。

 

★ 少数色覚である私にとってこの記述は、そうだろうと思える面とちがうのではないかと思える面があります。
 ○○色と○○色とが区別できないという表現は、明度や彩度のほかに濃淡でも色の見え方はちがってきます。どのような○○色かによっては当てはまる場合も当てはまらない場合もある誤解を生みやすい説明だなと思ってしまいます。「赤」「緑」というような単純なことばで示され、そのどれもが「どんな場面でも少数色覚には□□に感じる」というアバウトな表現は、私以外の少数色覚者で「これはちがう!」と言いたくなる人もいるでしょう。

 

 

★ 色を言葉で表現すること、色の感じ方を言葉で説明することは、とても少数色覚への誤解を招くおそれがあると私は痛感することが多いです。

 

 

★ でも、「なぜそうなるの?」とあなたは不思議に思いませんか?
  私の経験上それは「色の感じ方は、人それぞれちがっていて当たり前」という色覚多様性の理解が欠けている場合に生じます。
 「えーーっ、この色とあの色が似て見えるって? うそでしょう!」と思うか、
 「そうなんだ。この色とあの色が君には似て見えるんだ。おもしろいね」と思うか。
 多数色覚者の感じ方が「正しい」と固定観念を持ってしまえば「うそでしょう!」となり、少数色覚者のちがいイコールまちがいと解釈してしまいます。

 

 

★ 自身の感じ方のちがいから少数色覚の存在に気づき、はじめて少数色覚の研究をしたジョン・ダルトンは、「おもしろいね」と思っていたようです。
 それが今、いつの間にか私たちのまわりでは「色まちがい」とされるようになっているのです。