わたしたち
わたしたち「しきかく学習カラーメイト」は、教員や元教員を中心とする集まりです。
2016年10月に、第1回の集まりを大分で開きました。
それは、「色覚問題の正しい理解をうながすリーフレットを作成しよう」という目的で大分在住者の集まりでした。
ワイワイがやがや行きつ戻りつを繰り返して、
原案の「三ツ折リーフレット」は12ページのマンガ冊子「はじめて色覚にであう本」となって2017年3月に完成しました。
カラーメイトは、色覚検査を「するべき」という立場も「するべきではない」という立場もとっていません。
問題は検査そのものではなく、検査の目的や活用だと考えています。
それは「色覚のちがいについて理解がすすんでいないこと」「色覚問題があることに気づかない人が多いこと」が根本的な原因で、
色覚検査の「目的」や「手段・方法」、色覚検査の結果の「正常・異常の判定」と「その判定がどのように使われているか」、
それが、結果的に「『色覚異常』といわれる少数色覚者に及ぼしている人権問題」が論議されるべきだと考えているのです。
そのためにわたしたちは「色覚多様性や色覚問題を正しく理解する」ことを中心に活動しています。
正しく理解しないまま「色覚検査についての論議や判断」はできないと考えています。
カラーメイトは、とても自由な「集まり」です。
「会」やサークルという発想もありません。極端に言えばその名称なども不要ではないかと考えました。
しかし、本の発行元として責任の所在を連絡先とともに明らかにするなどのため名称をつけました。
しきかく学習カラーメイト・・・色覚について学習する「カラーメイト(=色の仲間)」が名称です。
さらに、本は全国で使ってもらいたい、活動の輪を広げたいという思いで「大分」という言葉も入れていません。
ですから会員という定義も設けていません。会費などもありません。
仲間として、必要なときに自由に集まるだけです。本作成やその活用を通じて「学習するなかま」の集まりです。
広報宣伝活動も行っていきますが、参加する方は名前を公表してもしなくてもかまいません。
少しでも学習に参加していただいた方は「カラーメイト」を名乗っていただいてかまいません。
また「カラーメイト」の運営費はゼロです。
学習資料の発行などで金銭授受をせざるをえないため、「書籍を発行する責任者」として代表の名前と専用メールアドレスなどを活用します。
しかし、その収支は業者委託とし、カラーメイトの収支は生じません。
カラーメイトは、いっしょに学習する人も募集しています。
当初から、遠方の方でもメールで連絡を取り合ったりして学習をすすめてきましたが、
2020年10月からはZoomを使った「オンラインの会」を行っています。
「正しい色覚問題の理解をすすめる」わたしたちの学習会に
ぜひ、このページをごらんのあなたもご参加ください。
また、色覚にかかわるどんなご質問にもていねいにお答えします。
小さな質問でもかまいません。お気軽にご連絡ください。
色覚のちがい
わたしたちは、お日様などの光から明るさを感じます。
明るいと鮮やかに色彩を感じることができますが、暗いと色を感じることは難しくなります。
光というのは電磁波(電気が流れるところに発生するエネルギーの波)の一つです。
光は「何か」に当たって反射します。
それを目の奥にあるセンサー細胞(すいたい細胞といいます)が反応します。
多くのヒトは、すいたい細胞を3種類持っています。
3種類は、それぞれ強く反応する光が異なるため、それぞれからちがった信号が脳へ送られます。
脳は、その信号のちがいから「色」を作りだすのです。
これがわたしたちが色を感じる仕組みです。
生物により、すいたい細胞の種類の数や強く反応する波長も異なるため、ヒトが見ている色を他の生物が同じように感じているとは限りません。
色覚だけでなく、視野や視力も異なるため見え方は大きく異なります。
しかし、その見え方がそれぞれの生物にとって最適に調節されていると言えるのです。
色覚多様性
近年、ヒトや一部の霊長類に色覚の多様性があることが具体的に明らかになってきました。
基本的に3種類のすいたい細胞を持っているヒトの中には、
それが1種類や2種類の人もいます。色覚のタイプが一つではないのです。
新世界ザルに区分される霊長類にも同じような多様性があることがわかってきたのです。
ヒトに限って考えると、多くの人と異なり、
3種類だけど多数派とは異なった感度を持つ人(医学用語で「異常3色型」という)もあり、
2種類の人(同「2色型」)や1種類の人(同「1色型色覚」)、また最近は4色型も存在すると言われています。
霊長類の研究から、色覚の多様性には意味があると考えられるようになりました。
2色型、これはヒトではかつて「色盲」「色覚異常」と呼ばれてきました。
その存在の割合(男性の約5%、女性の0.2%)の多いことから、
「異常」という表現を問題視する声が多くありました。
また、白黒の世界にいるわけでもないのに「色盲」という表現に異議を唱える声もたくさんあったのです。
2色型色覚が3色型色覚よりも見分ける能力が鋭くなる状況や場面があることがわかりました。
多くの人(3色型)にも少数の人(2色型や異常3色型)より得意な部分があります。
それぞれに得意な部分があるということがわかったのです。
少数派の色覚は、けっして「劣っている色覚」ではないのです。
縛られた価値観からの解放
わたしたちは、少数派の色覚の持ち主は「異常だ」というとらえ方は間違っていると思いますし、
その表現を使うことは適切ではないだけでなく、
誤解や偏見を招く問題のある表現だととらえています。
少数派の色覚の持ち主は、多くの人にわかりやすい色表示がわかりにくいなどの不便な面が全くないわけではありません
(全くないと主張するくらいの違いしかない方もたくさんいますが)。
しかしそれは、多くの人を基準にした色づかいや色のネーミングなどによるもので、自然界の中で不都合があるわけではありません
(もし不都合があれば少数派の色覚を持つ個体が自然界で生きのびることはできないはずで、淘汰されていくのが自然の摂理だからです)。
かつて日本では、全国民に色覚検査をすることを義務づけていました。
97~98%の人にとってわかりやすく作られている検査表をもとに
「あんな簡単に読める検査表が読めないことは大変なこと」と思われてきました。
しかし、多数派を基準としたものが少数派に読めないものがあるのは当たり前のことなのです。
高い棚の上にあるものを手で下ろすのは、背の高い人が得意でしょう。
しかし、それだけの理由で背の高い人が優れているとはいえません。
低い所の作業は、背が低い人の方が得意なことだってあるはずです。
一つの尺度だけで優劣をきめてはいけないのです。
一つの尺度に縛られた価値観から解放され、色覚の多様性を正しく理解する必要があるのです。
少数色覚という表現
わたしたちは、色覚の違いに関する問題(色覚問題と称しています)は多数派・少数派という数に起因する問題が根本にあると考えています。
確かに「見え方」や「感じ方」にちがいはありますが、それが「困る」か「困らない」かは、
その色覚の持ち主に問題があるのではなく、わたしたちの社会のありように原因があるのではないでしょうか?
高いところに手が届かない人には、踏み台を持ってきたり、必要なものを代わり取ってあげたりすることがわたしたち人間にはできるのです。
正しい理解と助け合い協力し合うことで克服できるちがいが色覚多様性なのです。
それができるからこそ、霊長類の一部に色覚多様性が与えられている、そうわたしたちは考えたいと思っています。
わたしたちは、そういう思いを持って「少数色覚」「多数色覚」という表現を用いて色覚多様性を表現しています。
「はじめて色覚にであう本」巻末に掲載した分類表
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