お答えします 検査で「色覚異常」と判定された人をとりまくさまざまな問題です。
大きな人権問題になっています。
★ わたしたちは、目・耳・舌・鼻・皮膚から五つの感覚を得ています。感覚にはいずれも個人差があります。例えば風呂の湯加減は心地よさを感じる温度は人によってちがいます。同じ音楽を聞いても音量が大きく感じたり小さく感じたり、人によっても、時と場によっても感じ方は千差万別です。
感覚の一つである視覚は、人間に限らず、外界からの光を刺激として生じる感覚で、明暗覚・色覚・形態覚・運動覚があるとされていますが、色に対する感覚である色覚もとうぜん人によりちがい、それぞれが持つ「個性」の一つなのです。
★ 他人の感覚を正確にとらえることはかなり難しいことです。例であげた風呂の湯加減を例にとっても、「熱い」という感覚が「とても熱い」「少し熱い」など言葉によって想像することはできても、測ったように理解することはまず不可能です。
色をどう感じているかをとらえることも現代の科学では不可能です。となりの人が赤信号の「赤」をどう感じているかなど体感できるはずがなく、どう感じるのが正解かなどもあるはずがありません。
★ しかし、その色覚が検査により一定の線引きがなされ、「異常」であると判定される人がいます。しかも、その色覚に対して、さまざまな誤解や偏見が生み出されてきました。
★ 「色覚異常」と判定される人は、まったく色の区別がつかない人、白黒の世界に住んでいる人、赤色と緑色の区別がつかない人、または赤色と緑色が逆に見える人だと思っている人たちもいます。
また「色覚異常」と判定されると、車の免許も取得できないとか医師や教師にはなれないと思っている人も少なくありません。
これらはまったく事実ではありません。
★ つまり、「色覚異常」とはどういうものなのか、またどういうことをさしている言葉なのかなど、正しく説明できる人は少なく、「色覚異常」と判定された人たちさえ、それが一体どういうことなのかについて正確な情報や知識を得ることができていません。
★ なぜなら、「色覚異常」かどうかを判定する色覚検査は、かつて学校を中心としてほとんどすべての人に対して一律に行われてきましたが、「異常」と判定されても何がどうわかったのか説明されることもなく、色覚とはなにかを正しく知る学習の場もほとんどなかったからです。それは、色覚検査を行っていた学校の先生や眼科医でも同じでした。
★ 正しく学習する場もなく判定だけが行われていたのでは、予断や偏見が広がっていくのはあたりまえです。こうした誤解や偏見がもとで少数色覚者は、とうぜん行使できるはずの権利が奪われたり、自由であるべき職業選択ができなかったり、周囲から理解されず厳しい立場に立たされることが、現在も続いているのです。
★ 誤解により、少数色覚者にとっては辛くいやな思いをする言葉が投げかけられることもあります。それに気づかない多数色覚者が多いのも現実です。
少数色覚やその遺伝法則についての正しい知識を持たないために、子どもへの遺伝を心配したり、結婚の約束が破談になるケースもあります。さらに、おなかに宿った小さな尊いいのちが奪われたことまで、私は耳にしたことがあります。
★ 念のために付け加えますが、少数色覚者がいるから問題が起きているのではなく、少数色覚そのものや少数色覚者に対する誤解や偏見によって問題が生じているのです。
こうした少数色覚者をとりまくさまざまな問題を、わたしたちは「色覚問題」と呼んでいます。
Q1 どの言葉を使用するべきですか? 前へ← → 次へ Q3 少数色覚について簡単に説明してください。